生誕80年あさいますおー不可視の後衛 愛知県美術館で2022年10月29日-12月25日開催

愛知県長久手市出身の夭折の前衛芸術家、あさいますお(1942-1966)の活動を紹介する「生誕80年あさいますおー不可視の後衛」が2022年10月29日~12月25日、名古屋・栄の愛知県美術館でひらかれている。

あさいますおは中学の頃から、独学で詩や絵をつくり、長久手高校では、60年安保闘争のデモ運動に参加。以後、芸術志向と、社会への批判性、弱者の側に寄り添う姿勢を強めた。高校を卒業した1961年以降に活動を本格化。絵画の制作、前衛的なパフォーマンス、ガリ版雑誌の発行、日本各地の辺境への旅、子供たちへの美術教育など、多岐にわたる活動を展開した。ゼロ次元との交流によって、身体的なパフォーマンスも展開。66年に不慮の事故で死亡する。

 展覧会では、知られざる作家、あさいますおが駆け抜けた24年間の生涯とその間に残した作品を紹介している。

 作品は油彩の抽象画が中心。保存状態は良くないが、遺族との協議の上、確認された全ての作品を展示したとのことである。

 会場に支持体を菱形に変形させた作品がある。ピラミッド型の権力構造を批判したあさいが、裏返した逆ピラミッドを加えたことで生まれた。

 会場にある年譜を見ると、「尖底点」「底辺」

「底点」などの言葉が多いことに気づく。これらも、底辺、底点から世界を見ることを考えたあかしだろう。

 

また、作品の各所に、トレードマークともいえるハート型のおしりの形象が見られる。コラージュが多いのも特徴。新聞などの記事、雑誌の図版、写真やフィルム、絵具のチューブ、、釘、キリストの磔刑イメージなどがコラージュされている。

 多くは、コラージュされた写真や記事などのイメージと、画面に貼られた物質、荒々しいストロークによる絵具の激しさが対比され、同時に同期にした作品である。

あさいますお著作集「ゲゲの謎」が出版されました。

あさいますお(本名 浅井益男)は1942年に愛知県愛知郡長久手村に生まれ高校時代より「現代を見る目」、「底点」、「尖底点」、「えんとつともぐら」、「どらむかん」、「アンドロメダ」、「ゲゲ」と毎月のようにガリ版雑誌を発行し24歳で伊豆の海で亡くなるまで、社会の底辺に生きる人々に寄り添い、独自の芸術観を発信し続けました。

その雑誌に掲載された文章を年代順にまとめ、あさいますおの生きた活動をふりかえってみました。

1960年前後の時代は日本の敗戦後、アメリカの文化が雪崩のように日本に入り込み、1960年の安保闘争に象徴されるようにそれに対する抵抗運動が最も盛んな時代でありました。21世紀の現代から見ると隔世の感がありますが、現代を生きる人々にとって、多くの示唆に富んだ著述を見つけることが出来るでしょう。

 

「ゲゲの謎」という表題を付けたのはあさいますおの最終発行誌が「ゲゲ」であることに由来します。「ゲゲゲ」というと水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」を思い出す人が多いでしょう。実は、あさいますおは亡くなる一年前、1965年三月に水木しげる氏の自宅(すみか)を訪ねているのです。・・・そして同年、1965年七月号のマンガ雑誌「ガロ」のロリータ「鳥」という欄で水木氏がその時のあさいますおの事を「さわやかな《奇人》」「自由の《鳥》」と紹介しています。

 ある日、突然いや偶然といったほうが良いかもしれない。さわやかな、まぎれもない「奇人」が来訪した。

「センセ」ですか。私は《ゲゲゲのゲ》という本にセンセのことを書きたいのですが、いいですか。」「《ゲゲゲのゲ》とは変わった名ですね。するとあなたは評論家ですナ」「いや、エカキです。」・・・

 あさいますおが亡くなったのが、翌年の1966年7月、その年の9月12日号の『読書新聞に』に水木しげる氏が「ゲゲゲのゲの歌を発明した男だった」としてあさいますおの死を悼む追悼文を寄せています。           「ゲゲ」は水木しげる氏の家(すみか)を訪ねる前に、あさいますおの中で生まれていたのでした。        

 今年十一月にジブリパークがあさいますおの生誕地、愛知県長久手市にオープンします。あさいますおが不可視の✕を求めて闇の底へ底へと降りて行く姿が、ジブリの「ゲド戦記」のゲドの姿に、なぜか重なって私には見えてしまいます。

 スペシャル(個)な「ゲゲ」を求めて行くとエゴ(個)が先に立ち闇の世界に飲み込まれて行ってしまう、そういう危うさがアナーキーなパフォーマンスにはあります。光と闇の混沌とした姿が浮かび上がってくるような気がします。

 日本語版、翻訳者の清水真砂子氏が『「ゲド戦記」の世界』岩波ブックレット№683の中でゲド戦記『外伝』の「かわうそ」の文章の中で「名もない人々の中にしか、もう希望は残っていない」という文章を紹介されています。

 『そして、私は「これまで、たくさんの過ちを犯してきたし、これからも犯すだろうけれど、社会のどこに目をやっていれば、多少でもその過ちが少なくて済むか」を自分の課題としてきましたが、ひょっとしたら、もっとも立場の弱い人々、子どもも含めてですが、そういう人々に目をやり、そこから学ぼうとするかぎり、それほど大きな過ちは犯さないでいられるかもしれない。・・・第四巻でテルーという、ああいう女の子が最後、松明を掲げて、ゲドとテナーの先に立つ。』

 平凡と言う名もない少女が照らす明かりの中に希望が見えてくるような気がします。あさいますおは、この名もない人々の中に光を求めていたのでしょうか。・・・ 編者あとがきより

 

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